有事斬然・無事澄然を心がける

2015年3月20日金曜日


会社経営においては、心穏やかならざる出来事は日常茶飯事である。

いいことばかりではないのは当たり前だ。

そのたびに、取り乱していたのでは身が持たないし、会社経営を続けることなどできない。

内容はここに詳しく書けないのであるが、近頃も心穏やかならざる出来事があった。

僕が心がけていることは、何か事があるときは、先送りしてもいいことは何もないと腹を決めて、ぐずぐずしないできびきびと対応することだ。

しかも、有事の時ほど、勇断をもって旧来の陋習(ろうしゅう)を破って、ズバリと処置することが必要。

このことを、四文字熟語で「有事斬然(ゆうじざんぜん)」と言う。

逆に、何も事がない時には、水のように澄んだ気でいること。

これを「無事澄然(ぶじちょうぜん)」と言う。

これをセットにして「有事斬然・無事澄然」という言葉で、何かの時には思い起こすようにしている。

これは「六然(りくぜん)訓」という言葉の一部である。

「六然」とは、崔銑(さいせん)という、中国古代の学者の残した6つの言葉を言う。

【 六 然 】

☆自処超然(ちょうぜん<自ら処すること超然>)

自分自身に関してはいっこう物に囚われないようにする。
絶えず、自分をつき放して眺めていること。
人間というものは自分の問題になると、いろいろな物に囚われて複雑に考え、執着したり拘泥したりするものである。

☆処人藹然(あいぜん<人に処すること藹然>)

人に接して相手を楽しませ心地よくさせる。
藹は、春の草木の青々と茂った雰囲気を表す文字で、、人に接すると春の山に霞のかかったようなのんびりとした温かい気分になる、そういう雰囲気が藹然だ。

☆有事斬然(ざんぜん<有事には斬然>)

事があるときはぐずぐずしないで活発にやる。
「斬」は「斬る(きる)」と同時に「新しい」の意味がある。
一朝ことある時には、旧来の陋習を破ってズバリと処置してのける勇断が必要だ。

☆無事澄然(ちょうぜん<無事には澄然>)

事なきときは水のように澄んだ気でいる。
雑念を払い、私利私欲がないから融通無碍に動くことができる。

☆得意澹然(たんぜん<得意には澹然>)

得意なときは淡々とあっさりしている。
「澹」は「淡」に通ずる。
人間、得意なときはいい気になって、ともすると威張りちらしたり、驕ったりするものである。

☆失意泰然(たいぜん<失意には泰然>)

失意のときは泰然自若(じじゃく)としている。
やせ我慢でもいいから、ゆったりと落ち着いていること。
決して取り乱してはいけない。

整然とした四文字熟語が実にインパクトがあり、対比された二つの言葉のセットは鮮やかに胸に染み込んで来る。

陽明学者・思想家である安岡正篤(やすおかまさひろ)先生の座右の銘としても有名である。

安岡正篤先生は「私はこの『六然訓』を知って以来、少しでもそういう境地に身心を置きたいものと考えて、それとなく心がけてきた。実によい言葉で、まことに平明、しかもわれわれの日常生活に即して活きている」と述べている。

1.自分と他人との対比
自処超然・処人藹然(じしょちょうぜん・しょじんあいぜん)

2.有事と無事の対比
有事斬然・無事澄然(ゆうじざんぜん・ぶじちょうぜん)

3.得意と失意の対比
得意澹然・失意泰然(とくいたいぜん・しついたいぜん)


今野 誠一Seiichi Imano
企業経営にあたりつつ、自らも第一線のコンサルタントとして 、組織変革コンサルティング、経営幹部教育プログラムや管理職研修のファシリテーション、、企業理念構築や経営ビジョン構築ワークショップのファシリテーションなどを担当している。